織田信長ゆかりのお寺

【崇福寺】

この崇福寺は織田信長が1567年に美濃へやってきた際に菩提所にしたお寺で、何度も彼が足を運んだことが予想されます。 10月には織田信長公追悼式というイベントも毎年開催されていますし、信長さんで有名なこのお寺は彼と深い関わりを持っていたのです。 どれほど深いかを示すエピソードのひとつに織田信長父子廟もありますし、信長の息子も関係があることが証明されるこの織田信長父子廟からも 両者の関係が深いことがひしひしと伝わってくるでしょう。 織田信長公追悼式の二日間は無料ですが、それ以外の日は大人200円、子供は150円の料金が発生しますので注意しましょう。 入れる時間も24時間ではなく午前9時からとなります。日の長い時期は夕方5時、短い時期は4時半で終了となります。 岐阜市の長良福光にあるのですがドウダンツツジの名所としても知られており、秋には素敵な紅葉を拝むことができるのも嬉しいお寺さんです。

【円徳寺】

ここ円徳寺も織田信長ゆかりのお寺で、現在は神田町にありますがもともとは岐阜市の長旗にあった浄泉坊が元になったようです。 信長の父親織田信秀さんがこのあたりで斎藤道三相手に戦をした際、けっこうな数の犠牲者が出たのですがその戦死者を弔うため浄泉坊に織田塚がつくられました。 その数は最大5千人とも言われており、今より人口の少ない時代と考えるとかなりのダメージを受けたんだと思われます。 そうでなければ織田塚を築いて弔うという発想も出なかったでしょうから、深刻なダメージだったのは確実です。 今でも円徳寺には織田塚が残っていますので、織田家との関わりを示す遺産としても重要なものがあるお寺との評価を得ているのでしょう。 他にも信長から贈られた梵鐘などもあり、いくつかは寺宝として大切に保存されているそうです。 歴史的に価値のある重要文化財も多く所蔵しているので、その意味でもそこそこ有名かもしれません。

【岐阜善光寺】

善光寺という名前は耳にしたことも多いでしょうが、岐阜ではない善光寺の方が圧倒的に多いのではないでしょうか。 この善光寺は信州の善光寺から甲府へ行っていた善光寺如来を、織田信長が岐阜へ取り寄せた際に創建されたお寺さんになります。 なので有名な長野県の善光寺とも深く繋がっているのです。 織田信長の死後岐阜善光寺から善光寺如来は持ち去られてしまい、以後分身の善光寺如来を本尊としてまつっています。 その時代なんだか善光寺如来の奪い合いをしていたような成行きですが、信長の孫の秀信が分身を用意したことで岐阜善光寺はとりあえず落ち着いたのです。 このお寺には7月に面白い行事があります。その名も胡瓜封じで、胡瓜を使って厄除けをするのです。 胡瓜に魔よけのような働きがあるのか知りませんが、とにかく胡瓜の内部に邪気を注入して出てこないようにするのだそうです。

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